昭和44年05月29日 夜の御理解
今朝の御理解にの中にも頂いたように、「神は天地の守じゃから離れる事は出来んぞ」というところを、「神は氏子の守じゃから離れる事は出来んぞ」と、本当にあのう神様のお守を一人一人の上に頂いておる、それをそれと現わしておる。だから「庭の口に出て見よ、空が神下が神」とこう仰るが、そのう「空が神下が神」というのは、余りにも漠然として大き過ぎる。そこで「神に会いたいと思えば、お広前にお引き寄せを頂け、そこに神のお姿を見、神の声を聞くであろう」というのが、今朝の御理解でしたよね。
今日は秋永のお婆ちゃんの五十日祭を、ここであのように盛大に奉仕させて頂き、本当にまあ有り難い事だと思いますが。もういつもの事ながら霊様のお祭りというのは、どうしてこんなに有り難いんだろうと思うけれど、それがそのまま神様のお喜びであり、霊様のお喜びと併せて感じてくると言うか、伝わってくるというところに、あのう喜びのお祭りができると思うんですけれども。本当にこのお広前にお引き寄せを頂くとですね、本当にそこに神様を見る事が出来る。そこに神様の声を聞く事が出来る。
もう今日一日の例えばお祭りなら、お祭りと言う事に対しての神様の働きというか、もう本当に一分一厘間違いの無い働きの中に、はぁ本当にはぁまぁ本当に霊様の働きじゃろうか、そのおかげじゃろうとまの当りに見たり聞いたり出来るほどしの、今日一日であった訳でございますけれどもね。ちょうど今朝の御理解を裏付けして頂くように、確かにお広前にお引き寄せを頂くという事は、神をそこに見る事である。同時に神の声をそこに聞く事が出来る事であるという事を、皆さん実感されたであろうとこう思いますが、皆さんどうだったでしょうか。おかげを頂かないけません。
どうぞ。